白桜会のブログ

‟明るく楽しく元気よく”

単車人生 連載6(最終回)

         著: 遠藤俊夫(白桜会/囲碁将棋部、卓球部)

 (十一)

2、3日過ぎた。 日本の思想運動は激戦の最中である。 毎日寝るのは次の日である。支部に泊まり、同僚の家へ泊めてもらった。 委員長が、たまには帰って顔を見せてやれ。 ひょっとするともう籍を抜かれているかもしれないぞという。しばらくぶりにカブを飛ばして、亀戸の13間道路へ出た。道端に小型トラックが停まっている。通り抜けようとした途端、ウインカーを出さず後ろも見ずに飛び出してきた。バーンと遠くに音がした。 目の前がしきりに明るくなったり暗くなったりする。気がついてみると、都電のレールの上に大の字になっている。起き上がろうとすると、そばにガシャンと何か落ちてきた。 今まで走ってきたカブの残骸である。 細長かった車体が正方形に変わっている。 前輪と後輪が同居している。起き上がった。 体は何ともない。 レインコートが泥だらけである。 はたくと肩のところに穴が開いている。 下のジャケットが擦り切れて白いシャツがそこだけ真っ黒く覗いている。 肩を打って宙返りしたに違いない。逆立ちしたことはあるが、宙返りは初めてである。軽トラックの運転手が飛んできた。真っ青である。

「 だ、大丈夫ですか 」

向こうの方が重傷に見える。怯えた顔は今にも泣き出しそうである。

「 この通り 生きてるよ。だけどバイクが潰れてそこに落ちてきたよ」

 相手は人間の無事を見てよほど安心したらしい。 あとは 体にとりすがって謝るばかりである。 パトカーが来た。錦糸町駅ロータリーの交番へ行った。 免許証を見せてくれという。 相手の若い男は胸ポケットから すぐ 出した。こっちは半分 変色した上に破れたところが ジャケットに張り付いた レインコートの上から リュックサックを負っている。 どこに入れてあるかも覚えていない。 あらゆる ポケットに手を突っ込んでやっとズボンのポケットから免許証入れを引っ張り出した。 M のお古である。M は 免許証入れ に凝っていて気に入ったのがあると値段を聞かず 買い込んだ。 事故を起こす前 家を訪ねてきた時 黄色に塗った ピカピカの分厚い 免許証入れを見せた。清掃組合みたいだなと言うと黄色は 安全色だからな という。今まで大事に持って行った 茶褐色の札から 何から 皆入る 免許証入れを笑いながら手渡した。

「はい。おじさんの 免許証入れ。 俺の免許証入れ 持っててくれよ。 俺、先生の乗り方危なくてよ。 ここから江戸川まで 毎日乗ってんだろ。 俺、先生が単車とつぶれないように いつも祈ってるんだ。この免許証入れ お守り代わりだぜ」

開けてみると 小銭入れのところに5円玉と、どこかの寺か神社のかわからないほど 古ぼけた布袋に入ったお守りがしまってある。

「 お守りって1年ごとに新しく代えるんだって、兄貴に言われたけどよ。俺、先生と付き合うようになってから代えたことがないんだ。 運が逃げちゃうと厭だからな」

 それなら自分で蔵っとけよ。 俺によこしたらせっかくためた 運が逃げるかもしれないじゃないか。 M はにっこりした。

「俺と先生は同じだからな。 目の前にいなくても必ず一緒にいる気がするんだ。 どっちが持ってたって同じだけど そんなに言うんなら 品物は先生が持ってて運は半分ずつ分けようぜ」

  忙しさに取りまぎれてしばらく眺めなかった、M の免許証入れ が やっと出てきた。
 2つ折りを開くとポトリと落ちたものがある。 拾ってみると M に渡そうとしたお守りである。奉書紙に何やら わけのわからない字を書いた木札を包んだ 一番安いのである。 慌てて 免許証入れに戻そうとすると、包んであった奉書紙が、突然、縦に2つに折れた 。そっと開けてみると、中の まだ真新しい木札が真っ二つである。
 いつ割れたか知らない。昔 1週間ほど前、子供達に免許証を見せるために出した時、たまたまそっと指先に挟んで撫でた時には何の異状もなかった。 M が代わりに割れてくれたのだということは奉書紙が折れた途端にわかったことである。
 その免許証を調べようと こっちを向いた時、 相手が潤んだ目をして唇を噛んでいたので、手を出した 巡査は変な顔をした。 話し合いの末、ウインカーを出さず 後方確認をしないまま飛び出した相手が悪いということになった。 交通裁判所へ行かされるのだそうである。 あとは潰れたカブの始末でこれは警察の仕事ではない。 示談が民事訴訟か2人で相談してくれと言われた。
 スクラップになって 道端に転がっているカブのところへ戻ってきた。 相手は 元気がない。 青菜に塩どころか 塩漬けになったナメクジのようである。 交通裁判所へ行かせられると免許停止処分になる。 その間仕事ができない。やっと運送会社に勤めたばかりだが この事故がバレると 多分 首になるという。半べそを書いている。 選挙権を持っているのに なんたる 軟弱だと思ったが、潰れて息をしなくなっているカブもかわいそうだ。 なんとかケリをつけられないかと聞いた。 相手は黙って 千円出した。 これしか持ってないという。 菜っ葉服に作業ズボン 頭にカーキ色の仕事用 キャップ 足には頑丈そうなドタ靴である。ずいぶん 安い と思ったが、服装から見ると釣り合っている気もする。 M が、先生、怪我しなかったんだから、まけてやれよとそばで言っている気がする。千円札を受け取って 電車賃にして帰ってきた。
 翌日。 修理屋へ行ってきた。 その頃仕事から ほとんど 手を引いていた1代目 の主人と、こっちと同じ年生まれのあとつぎが、工場の一部を造り変えた、事務所にいた。
 昨夜電話をしたら明日必ず来るように言われた。 こっちはあの夢ばかり見ていた黒塗り タンク付きオートバイを早速買うつもりで来た。ところが2人は事務所の机に難しい顔で座って、こっちの顔を見ると 空いている椅子に座りなさい という。別に 命を落として来なかったし 悪いことをした気がなかったが、真剣な顔で詰め寄ってきた。

「 先生という人は子供以下だね。それは相手が一方的に悪いんですよ。雇い主に掛け合えば 損害賠償保険も使ってカブの損料どころか、慰謝料 だって請求しようと思えばできるんですよ。 向こうの勤め先や住所を聞いてきましたか」

 そんなものを聞いている暇はない。時は刻々 と過ぎる。 翌日はまた 朝から子供との闘争である。カブに乗れなくなった以上 通勤に着る服を探さなくてはならない。 第一、今日はカブでそっちへ帰るぞと電話をかけておいて、夜中まで 訳の分からない話に巻き込まれたのではさすがの家族だって心配するだろうし、こっちも取り引きということは生まれてこの方 したことがないから まっぴらごめんである。 まとめて 言い訳 しようと思ったが 2人はノートを出して ボールペンで何か 書き付けている。 下手に 言い訳 しようものなら、てこに使う そこに立てかけてある鉄の棒が飛んできそうだ。 うなだれて、聞いていませんでしたと言った。 二代目が 錦糸町の交番へ行けば 相手のナンバーも勤め先もわかる。 これから行ってこようかと立ち上がりそうな気配である。 老主人は小柄な深い皺を刻んだ顔に微笑みを浮かべた。

「だめだめ、その場で現場検証もしてなければ相手との連絡 さえとってないものを、今日行ったって無駄だよ。 第一 、千円 ばかり出してその場で話をつけようとしたのは先生が話に乗りやすい と見たからだ。 先生。これからはそういう時、 絶対 仏心を出さないでください。 法律というものがあるんだから それに従って両方 約束を守るというのが社会というものです。先生に説教したって仕方ない。今度またそういう時になったら必ずうちに電話してください。 こっちで双方が責任を取るように話をします。 必ずですよ。今度 知らん顔をしているようだったら、先生の欲しがっているタンク付きは売りません」

 それを売ってくれないのなら カブと一緒にスクラップになっていた方がマシである。 では 誓約書を書きますと言うと またにやりとした。

「そんなものを書くより事故を起こさないように気をつけなさい。 単車は ぶっ壊しても代えられるが命にはスペアがないんだからね」

いいことを言う。伊達に歳を取ったわけじゃない。 滅多に人なんか 尊敬したことがなかったが、この時は頭が下がった。翌日。13間道路、ガードレール脇の草むらに片付けられていたカブのスクラップを取りに行った。 あとつぎが軽トラックを運転して乗せて行ってくれた。 車を降りて 一目 車体を見た。

これはひどい。運ぶには都合がいいがよくここまで 潰してくれ た。 先生の身代わりになったんですよ。今度からもう少し自分も車も大事に乗ってください」

 スクラップを後ろの荷台に乗せて帰ってくる途中、 M は何も言わなかった。 あれだけ潰されて声が出ないだろうと思ったが、自分がお守り代わりにしていた免許証入れを人にくれて、自分はさっさと 約束の運の半分を取らず消えてしまった。 あんな人間がどうしてこの世にいたんだろう。

(十二)

 修理屋へ戻ると、老主人が手入れを終わって 待っていた。

「先生もやっと一人前になりましたね。 タンク付きを整備しておきましたよ」

 スクラップを積んできたばかりのあとつぎが、

「とんでもない。 こんな無茶な運転をする人に クラッチ付きの単車なんか乗せられませんよ 」

 ムキになった。老主人はメガネを外して私を見た。にっこりして、

「一度死にそうになった人は度胸が座って 命を大事にするもんだ」

 平然という。その老主人も この近くに 運河が多かった頃、夜道を走っていて橋の上からバイクごと落ちたそうである。

「先生の乗り方を見ていると単車にしがみついていない。 危ないと思ったら単車を放り出して逃げる勇気がある」

今まで何度転んだかわからない。カブは軽いし タンクに膝を挟んでいないから逃げやすい。ひっくり返った時 できるだけ轢かれないようなところへ 身を置かなければ命がいくつあっても足りない。

「 人間は何もないと怖いから どうしても単車にしがみつく。そこを轢かれるか 跳ね飛ばされる。 ブレーキをかけて横倒しになる時、単車を捨てて逃げれば最小限の怪我で済みますよ」

さすが 1代で修理工場を築き上げたキャリアである。

(十三)

やっとクラッチ付き単車に乗れる身分になった。 ところが いざ 乗ってみると 意外に操作が難しい。 左手にクラッチレバーを握っている。 交差点に停まる。 信号が青になる。 右手のアクセルをふかす。 猛烈なエンジン音が噴き上がる。左手のクラッチを握ったまま ニュートラルの状態で ふかしているのである。 慌てて左手を離す。 突然 車体が飛び出す。たちまち エンストする。 一度、四つ角でスピードを落とさず 左折しようとしたら尻 がシートから後ろに滑ってしまった。 腕が伸び切った。 アクセルをふかしっ放しのまま手がハンドルから離れた。 単車はひとりで飛んで行って、街路樹のプラタナスに真っ正面からぶつかった。 ハンドルがちょうど 斜め 半分を向いた。蟹が横ばいしているようだと思いながら、そのまま 例の修理屋まで走った。 20キロ近く 行って着いた。降りたら目がやぶにらみのまま しばらく 直らなかった。 老主人は、

「 このくらいで済めば大したもんですよ。先生は悪運が強い ね。スピードを出したまま 曲がろうとしたのならきっとタイヤが滑ったんでしょう。 大抵は単車もろとも その樹に体当たりして頭の1つも打つ はずですがね」

なんとなくMと一緒に乗っている感じである。 毎日乗っているうち慣れてきた。 スピードの快感がたまらない。 追い越されたことしかなかった車を時々本気で追いかけて抜いてしまうことが 度重なるようになった。ある 夕方、かつて恨みの13間道路に借りを返そうと思い切りアクセルをふかした。 途端に 後ろでサイレンが聞こえた。 たちまち 白バイがぴったり横についた。

「あんた。 そのバイク 何キロで走っていいのか 知ってるの。 今80キロ出てたよ。 このメーター見なさい」

 白バイには瞬間のスピードを測る メーターがついている。 確かに 80キロで針が止まっている。 4輪車が風のように通り過ぎていく。

「前の車の後をつけて走りました」

 言い訳である。白バイの警官は呆れた顔で覗き込んだ。

「その単車で、車の後をつけて走っていいかどうかわからないんじゃ乗らない方がいい な。 とにかく 50キロオーバー じゃどうしようもない。交通裁判所へ行ってください 」

出頭させられた。 罰金と1ヶ月の免許停止である。 罰金は1回分の飲み代 で済んだが 免停には弱った。

以前、カブを潰された時 免停を食らってベソをかいていた若者を、当たり前だろうと思っていたら、たちまち 自分に返ってきた。 因果はめぐる 小車ではない。 因果はめぐる 原付単車である。 講習を受ければ1日で返してくれるという。
 学校を半日休んで行った。事故現場を映した 全編 血だらけのフィルムを見せられた。 アクション映画のハラハラシーンと違って 奇妙にリアルである 。 オカルト 映画 の 恐怖シーンの方がはるかに楽しい。アクション映画会社がこうした残虐シーンを派手に格好よく作るわけがよくわかる。 こんな真実の場面をそのまま見せられて はたまったものではない。この映画で 道端に血だらけで転がっているのはまず 2人乗り 単車の若者たちである。当然 件数が多いのであろうが次々と映されると、今に日本の若者はいなくなってしまうんじゃないかと思う。 ようやく会場を出てきた後、車にだけは消して乗るまいと思った。 飛び出してきた 2人乗りをドカンとやったらこっちが生きていられない。 免許を返されて考えた。 やはり M に言われた通り 自動二輪の免許も取らなければいけない。東京横断に50cc を使っていたのではあといくら 罰金を取られるかわからない。 M は1回で合格した。 麻雀専門と言いながら 家庭教師を勤めた者に取れないはずはない。 いい具合に2人の娘が 保育園へ預けられるくらいに育った。ついでに習志野台の団地に当たったので引っ越した。
 教習所では その頃 ようやく単車の実地試験免許取得コースが用意され始めていた。 だが下手ながら 今まで20年近くバイクに乗ってきたのである。 毎日、東京横断を繰り返したから距離にしたら10万 km をゆうに越しているはずである。今更 練習でもあるまい。 試験 さえ受ければ一発合格だと当時 試験場のあった岩概へ バスに乗って行った。 降りると試験場の周りは飲食店と法令試験の参考書 売り場 ばかりである。 法令なんて 常識 程度に違いない。薄っぺらな参考書を買うのも 馬鹿らしいと何一つ 準備しないで 試験場へ入って行った。 配られた 用紙を見て驚いた。踏切から何 m 以上は駐停車禁止であるとか勉強してこなければ分からない問題が 50題並んでいる。 今更どうすることもできない。問題の解答の番号に適当に〇をつけて出てきた。40分ほどたつと合格者の番号を書いた模造紙が壁に何枚か貼られた。 どこを探しても 自分の番号はない。 こんなことで落ちるようでは到底 ハーレーに乗れない。 M に合わす顔がない。麻雀に明け暮れたM は堂々 1回でパスした。
 とにかく これに受からないことにはM に 堂々たる 単車 姿を見せることができない。 帰り 恨みを込めて 問題集を買った。電車の中で読み 家のトイレで 読み 飯を食いながら読んだ。 3日経つと何ページに何の問題がどんな順序で並んでいるかわかるようになった。 大学時代 将棋に凝ってりんご箱 1冊の古本を文章まで全部覚えているのに2年かかった。 それに比べると法令の問題は 前立腺肥大の小便 くらいしかしかない。なんとか自信がついたので 受けに行った。今度は番号が出ていた。
 合格したら 今までひたすら あの薄っぺらい 参考書に熱中して一切のことを考えなかった時間が惜しくなってきた。 もう二度と読むことはあるまい。

(十四)

  いよいよ 実施試験に挑戦することになった。 受験地の出発点で合格、不合格のポイントを説明された。 法令は勉強して受かったが 実地に運転となると自動二輪に乗ったことがないから実際の試験を受けないことには見当がつかない。 出発点には 125cc のバイクが置いてある。 延々と受験者が並んでいる。 みな 20歳前後の若者である。 白いシャツに黒ズボン 半分白髪頭の受験者はたった一人である。
 20人ほど 順番を待つ うちにすっかり のぼせてしまった。 夏休みである。 太陽は 遮るもののない 出発点の草地を眩しいほど 照りつけてくる。 目がくらむ。 受験コースになっている舗道から大地を揺らせてかげろうが立ち上っている。 ようやく単車に乗った。 後ろから パトカーがついてくる。 1度目は出発して半分も走らないうちにサイレンが鳴った。 踏切で一時停止しなかったのである。 踏切 なんて 家から職場へくるまでに見たことがない。 昔の映画を見ているようで 懐かしいと思っているうちに素通りした。 パトカーから怒鳴られた。 そこで単車を降りて出発点まで押して行けという。ろくに法令を守らないで ただ目的地の職場に着くことだけを生涯の念願にしているやつだ。 到底 受からないと思ったが、諦めてたらドリーム号に乗れない。 2、3日して懲りずにやってきた。 今度はうまくいった。 出発地点が見えてきた。 しめたと思ったとたん サイレンが鳴った。 出発点の前の交差点を右折しなければならないのに目の前がゴールだから 大喜びで直進してしまった。また歩かされた。 しかし ゴール寸前に右折してその向こうから カーブ した道をゴールへ向かわせる 策略は大したものである。 進路の設計にシャーロックホームズが加わっているのかもしれない。
 3度目になった。危ないところを2度失敗しているから 心配することはない。 ふところのお守りを免許証ごと 握りしめた。 どうにか出発点へたどり着いた。 合否の発表になった。自分の番が来た。パトカーの警察官があんなに前ブレーキばかり使っているとひっくり返って事故を起こすぞと言った。 だめかと目をつぶったら気をつけて乗りなさい と 合格証をくれた。 警察官の顔が M に見えた。

(十五)

  それから 何台 単車に乗ったかわからない。 大抵 1年で壊れた。 4気筒エンジンの単車は出足が遅い。 いっぺんに 4つのシリンダーを回さなければならないのだから当たり前である。 単車は交差点で発進を待つ 車の一番前にいて 信号が変わると同時に車より先に出なければ 道路の埃と廃棄ガストを一斉に浴びせられる。 仕方がないから クラッチを半分 握る。信号が変わる。半クラッチのまま アクセルを思いっきり ふかす。 単車は猛然と飛び出す。 代わりにひと月たつとクラッチガリガリに痩せてくる。 とうとう 滑って単車が動かなくなる。10台ほど乗りつぶした後 修理屋が、

「先生は壊すために 単車に乗っているようなものです。あんな乗り方をしたらどんな単車だって1年も経たないうちに役に立たなくなりますよ。 仕方がない。 もう先生に乗せる 単車はこれしかない。 これなら今までみたいに 京葉道路のど真ん中で動かなくなることはありませんよ。 乗っている人の方が先に壊れるかもしれませんがね」

  渡してくれたのが真っ黒の車体に赤い字で ウルフ と書かれた 250cc のオートバイだった。 乗ってみて驚いた。 クラッチを握って アクセルをふかす。 ギアをローに入れて5秒走ると時速60キロになっている。 はじめ 何度か 追突しそうになった。 この車は58万円だった。管理人(奥方)はオートバイが壊れようが新車を買おうが まるで関心がなかったが 58万円 と聞いた時初めて目を剥いた。 車より高いんじゃないの という。 違いない。 だが免許のないものはどうしようもない。 1年かかりのある時払いでようやく払い終わった。
 今までの単車は金を払い終わる頃 大抵 壊れた。 このウルフは頑強だった。 新品の時ガソリン1 ℓ で9キロ を走ったこの単車は、トップギアで時速60km では エンストしてしまう。 80キロで滑るように走る。 出足が素早い。 ハンドルが短くさながら 中古車展示場の趣のある はるかの渋滞の中を縦横に練って走る。 車体が重く スピードを出すほど 車全体が地べたへ 吸い付くようになる。 安かろう悪かろう 高かろう よかろう という資本主義の原則を考えさせる 車である。 はじめは用心して 八分のスピードで乗った。 だんだん慣れてきた。 渋滞で身動きできない車の左側を一気に走り抜ける。
 交差点の信号が青になる。 さらに進まない車の列の左側をすり抜けていく。 いつ 目的地へ着くのか 誰もわからないような 果てしない 車の行列を見ているとこれが全部 単車だったら道路は 広々とさぞ、ガラ空きだろうと思う。 だが単車は完全無防備である。 車に比べたら真っ裸である。 青信号と見て 相変わらず動けない車の左側を通り抜けようとする。 突然右折車が目の前を横切る。瞬間にブレーキを踏む。 単車が直立する。 おもむろに倒れる。 重量がありすぎるから逃げられない。右腕に比べ 左腕は弱い。 車は必ず左へ倒れる。 右へ倒れていたら今頃5、6回死んでいるはずである。 それでも硬い 歩道に膝をぶつける。 ズボンは穴だらけ 膝は 血だらけはやむを得ない。

 何度も倒れるうち、膝の皮が硬くなる。 血は擦り傷だけになる。 代わりに打撲で中へ 溜まった血は出てこない。膝がこぶのように腫れてくる。 普段はズボンをはいているからわからない。 だが 水泳の時パンツに代えると子供達の視線はボールのように丸くなった 膝頭に注がれる。 たんこぶじいさん という仇名をつけられる。 ぶよぶよしているが ぶつけない限り 別に痛くない。 病院は通り過ぎることを習慣にしているから中へ入らない。 だが ある日 修理屋へ行った時 対面に座った 彼は一目 ズボンの上から 腫れ上がっている 膝を見つけた。

「先生。これは中へ 血が溜まっているんですよ。このままにしといたら膝がなくなって単車に乗りませんよ」

 単車に乗れなくなってはもはやこれまでである。病院へ行った。 医者が怒鳴った。

「こんなになるまで放っておく人間を見たことがない。 自分の体を何だと思ってるんだ」
馬の注射器のようなガラス管に太い針を刺して、
「 はい ごめんなさいよ 痛いのは自分のせいなんだから 私を恨むんじゃない」

膝小僧 へ 針を刺し ガラス管 1本分くらいの黒ずんだ血を抜く。 それにしてもようやく慣れてきた。 転ぶ 回数が次第に減った。 だが困ったのは 京葉道路の路面である。 ダンプが終日 往来するから無数の溝がある。 へこんでいるところを走れば倒れない。 高みに乗った時いくら用心しても 斜面を滑り落ちる。 単車は重心を失って転がる。 人生 いつでも底辺を歩くように心がければ、危険が少ない。
 逆に高みに立てば いつ落っこちるかわからない。 金持ちや 社長が絶えず心配そうな顔をしているわけである。 花輪のインターから京葉道路へ入り時速100km 前後で走る。 突然 轟音が辺りを揺るがす。 後ろから ダンプカーが追いついてくるのである。 この時この前後のスピードで抜かれるとダンプカーの後ろに生じる陰圧部分に吸い込まれる。 後続車が来たらおしまいである。 京葉道路は東京へ向かう時 1年中 後ろから日が登る。 後方から追ってくる 大型車の影は全て 前方の路面に映る。 すかさず スピードを落としてやり過ごす。 この一瞬はさすがに 怖い。 穴があったり 小石が一つ 転がっていれば終わりである。死を担保にした かけ引きである。剣豪 宮本武蔵の勝負の心境である。
 一度 職場の同僚が20何年 京葉道路に往復料金 400円を毎日 払っているのはバカの証拠だ。 湾岸道路の無料の道を走れば ただなのにと言った。 帰り道 試しにそこを走った。 道はまっすぐ だがどこかで 左へ曲がらなくてはならない。 適当なところを曲がった。 来てみると 一度も通ったことがない。 やたら走り回っていると 三山車庫終点 という 標識に出会った。習志野台から出ている場所に確かそういう標識をつけて走っている記憶があったから、喜んで道を聞いたが誰も知らない。 みなバスに乗り降りしているんだから 途中の道筋がわかるはずがないらしい。 おまけに交番が見つからない。 そのうち 薄暗くなってきた。 明るいところだって 東か西かさえ見当がつかない。 暗くなったらおしまいだと思っていると突然、木下方面 という 標識に出会った。
M の単車に同乗して毎週のように通っていたところである。 今も ホームグランドである。あそこまで行けば帰り道がわかると思ったら急に元気が出た。 家とは反対側の方向に30分ほど走って 木下の通り へ着いた。 見慣れたパチンコ屋 ハンバーガー店の明かりを目にした時 日本は狭いようで こうして迷ってみると 広大無辺なものだと思った。 通り 慣れた街道を通って家へ 着いた。 夜9時である。 4時に職場を出て 5時間 千葉県を さまよった。 以来、二度と京葉道路以外を走ったことがない。 2年ほど乗った。 車より ガソリンを食うが、その重量と出足の速さが命だと思うと、何ものにも代えがたくなってきた。ところがその気持ちを一番逆なでするようなことが起き始めた。
 盗難である。朝 乗ろうと エンジンをキックするとかからない。 一晩でバッテリーが上がるはずがない。試しに ヘッドランプをつける。 前方が明るくならない。 前へ回る。 ヘッドランプが丸ごと消えている。 配線が引き継がれて、ごちゃごちゃ と 垂れ下がっている。その頃 愛車を蹴られて相手をナイフで刺した事件を新聞で読んだ。 人間より車を大事に思うアホがいるかと思ったが、いざ ヘッドランプに消えられてみると その心理 もわからないではない。 向こうは 遊び だろうが こっちは営業である。

 職場へは当然 今朝も単車で行かれると思っている。 ヘッドランプはともかく 1日の予定は全て壊滅である。 電車に乗りタクシーを往復させなくてはならない。まず 2時間はムダになる。朝から 修理屋に電話した。 その日のうちに来てくれた。 ところが 直したらバッテリーがなくなった。入れてもらったと思ったら 工具がなくなった。 とうとう単車ごとなくなった。修理屋が交番へ届けなさい という。 行ったら 盗難届を書かされた。
団地の駐輪場へ 鎖でつないでおいたのを切って持って行きました。 警察では夜間のそうした出来事は分かりませんか」

  思わず皮肉が出た。 巡査は気の毒 そうな顔で、どうせこの辺りの者の仕業だから ガソリンがなくなれば捨てるに違いない。そうなれば どこかに落ちてますよと、落下傘みたいなことを言う。1週間経った。 近くの団地のゴミ捨て場にあったと連絡が来た。
 まだ動いたから引っ張って 警察へ持ってきてある という。警察署の単車置き場でよれよれになった ウルフと再会した時には、案内してくれた 巡査が神様に見えた。 ガソリンがなくなるとどうして捨てるのですか と尋ねた。 ガソリンタンクに鍵がかかっている。 こじ開けて ガソリンを入れたら走るたびガソリンが飛び出す。 使い物にならないからですよと、教えてくれた。 修理屋が工場へ運んでまた 直してくれた。

「 先生。鎖だけではだめだね。タイヤにも U 字型の鍵をかけましょう」

 一番大きいのをタイヤに回してくれた。 体操用鉄棒をひん曲げたような代物である。つけたその晩、両方ともちょん切ってまた持って行った。多分今度は出てこないだろう。 敵の執念も半端ではない。諦めたからもう一度新しいのを買ってくれと頼んだががんとして聞かない。 56歳にもなって そんな単車に乗っている人は1人もいない。 珍しい単車 だから いたずらされる。 車なら中古で20万円足らずのが、うちにいくらでもある。 今からでも遅くない。 早く車の免許を取りなさい。 単車はもう買いませんよ と言う。
 ついに 単車人生の終わりが来たと思った。 夢にホンダドリーム250cc に M が乗って出てきた。 右手にハンドルを握り左手を開いたり閉じたりしながら 相変わらず細い目で ニコニコ と先生 大丈夫だよ。 また乗れるよ という。2週間目。芝山団地のゴミ捨て場に倒れていたから運んでくれと警察から電話があった。 修理屋に電話した。 またですかあ と呆れた声が返ってきた。
 そのままにしておくと怒られますよ。 どうせもう乗れないだろうが 持ってくるだけは持ってこなきゃと、 習志野まで来てくれた。 ところが 芝山団地 というところが 全然わからない。 近くに交番があるというので電話した。 教わった通りの道順を走ったら 突き当たりで目の前が校門である。気の短い 修理屋は警官のくせに道の教え方がわからない。 人に聞かれた時 何を教えているんだろうと 怒りながら ようやく 狭い団地の奥のゴミ捨て場を探し当てた。

「 ずいぶん遠くへ来たもんですね」

 あたりは真っ暗の田んぼである。 誰一人 通らない。狸や 狐が肩を叩きそうなところである。 修理屋はごみ溜めに半分埋まっている 単車を 力任せに起こしながら、

「先生が道を知らないだけじゃないですかっ。 ここから先生の家まで 5キロしかないんですよ」

 怒鳴られた。 2人がかりで軽トラックに斜めに渡した板の上を、曲がった ハンドルのまま ようやく 押し上げた。 修理屋 は、

「これはもう スクラップ だね 」

軽トラックの車体に縄でゆわえつけながら ため息をついた。 単車がないと学校へ行く気が半減する。毎朝 行こうか行くまいかとハムレットみたいな顔で家を出て 1週間。 ようやく 拾ったボロ単車を修理屋が持ってきてくれた。

「手はかかりましたがね。走りますよ。 ただ もう探すのだけはごめんですよ」

 修理屋は朝早く 眠そうな顔で 空になった軽トラックに乗って帰って行った。わざわざ家へ来て、遊びたいだけ遊んで庭の草むしりまで手伝って、それでも名残惜しそうに帰って行った。 M の後ろ姿が目の前に 浮かんだ。
 あちこちへこんでエンジン音のやけに高い単車を学校の自転車置き場に蔵った。 久しぶりである。 受け持っていた 6 年生たちが 取られた単車の2度 帰ってきた お祝いだと誕生日に単車のハンドルに立てる旗を作ってきた。白の布地に黒マジックでドクロを描いてある。 下に、骨がぶつちがいになっている。 先生もとうとう暴老族になったねと、どこかで M の笑い声が聞こえた。 その日の帰り。
  サイドミラーにゆわえつけた 旗を押つ立てたまま大通りの交番を走り過ぎようとすると、いきなり、前方に紅白の棒を突き出された。 その旗は何だという。子供たちが誕生日に作ってくれたのだと言うと 赤いヘルメットをジロジロ見ながら免許証を見せてくださいという。M の茶褐色のまだ 擦り切れていない 免許証入れを開いた 巡査は途端に 昭和10年 と叫ぶ。 しばらく見入っていたが やがて顔を上げた。

「 60近くなって 旗を立てて走るのもいいが運転には気をつけてくださいよ」

 息子みたいな 巡査である。 単車に乗りながら ご苦労様と言ったら挙手の礼をした。 旗は3日で持っていかれた。子供たちはまた作ると言ったが それだけはやめてくれと頼んだ。別に 恥ずかしくはないが交番の前を通るたび 呼び止められて 生年月日を調べられるのではたまらない。2週間ほど経った 雨の日 。学校の帰り 環状7号線を走っていたら 架橋の下り坂 へ差し掛かった。 通い慣れた道である。 前に車が走っていなかったので、アクセルをニュートラルにしてブレーキを踏んだ。 途端にズドンと単車ごと 跳ね上がるような勢いで転がった。 修理屋を呼んだ。 一緒に仕事をしている弟と珍しく軽トラックに乗ってきた。

「 20年 走った道路で転がるようじゃ しょうがねえな 」

修理屋は手伝って 軽トラックに単車を押し上げている弟に苦笑いした。 メガネをかけた弟は心配そうに 、ゴア、テックスを着込んで泥だるまのように突っ立っている私を見ながら、

「体の方は大丈夫ですか」

 途端に修理屋が手を振った。

「ダメダメ。この先生はそんなことを聞いたって無駄だよ。 単車は死んでも自分は死んだことないんだから」

バスで家へ帰り ズボンを脱いだ。大股と言わず膝と言わず ふくらはぎと言わず すりむけている上に紫と青に変色している。天然色の刺青である。
 修理屋から電話があった。 片マフラーが焼けて出力が出ない。 先生、いよいよ寿命です。 これから 年相応に 90cc のバイクに乗りなさい。もう手配しましたからね。 それが嫌なら 車の運転免許を取りなさいと言われた。 翌日からおじさん バイクに乗って 教習所へ通った。 退職した年である。 毎日のように通った。 2ヶ月足らずで合格した。 60歳以上で免許を取った人は この教習所ではあなたが5人目ですと言われた。
 修理屋から3000キロしか乗っていない親類から預かっているという スターレットを20万円足らずで売ってもらった。 いささか 黄ばんだ クリーム色の小さな車に乗り込んだ。 目の前にハンドルと左手にアルファベットの書かれた手で操作するクラッチ とがついているだけである。単車でさえ クラッチがある。 アクセルとの連動をうまくやらないとエンストする。それに比べたらオートマチックハンドルなんておもちゃみたいなものだ。キーを差し込んでエンジンをかけ アクセルを踏もうとした。 遠くから見ていた 修理屋が飛んできた。

「先生。 クラッチがバックへ入ってますよ。 それで アクセルを踏んだら車は後ろへ走っていきますよ 」

そこまでは気がつかなかった。 修理屋は呆れた顔でものも言わず 私を眺めた。

「 先生。それで免許取ったんですか。そんな調子で乗られたら先生の走るところ道路は全部 渋滞です。 危なくてとても乗れません。当分 うちへ通って練習してください。 それまで免許証を預かっておきます。 せっかくバイクと 調子の似ている スターレットを用意したのに 人様の大型 なんかに乗られたんじゃとても責任が持てません」

 ついに無免許に逆戻りした。
帰り道 おじさん バイクでとぼとぼ帰ってくると後ろの荷台から、

「先生は俺と一緒に運転したことがなかったからな」

 悲しそうな M の声が風に乗って聞こえてきた。 学校で 知恵遅れの 子の面倒を見ながら帰りに修理屋へ行った。 隣に乗ってもらって 江戸川 中を叱られながら走り回った。 ひと月経ったら、

「先生。 どうやら 半人前になりましたね。 もう近くなら一人で乗っても大丈夫でしょう。 いってらっしゃい。 努力に勝る 効き目なしって、先生 毎日子供に言っているんでしょう。この間 聞きましたよ」

 今まで用事がないのに乗り物に乗ったことがない。 目的地を決めないから 迷ってばかりいた。しかしこの 実地 練習のおかげでようやく 自信がついてきた。

 考えてみると 本当に免許を取ったのは 教習所ではない。 親子 2代に渡って40年間 面倒を見てくれたこの修理屋である。 しかし高い駐車代を払いながら どうも 車に乗り気になれない。 単車だと後ろに M が乗っている気がするが車の中はがらんどう である。乗ると緊張感と孤独とがいっぺんに押し寄せてくる。 とうとう 乗らなくなってしまった。 今は娘が免許を取った。 都心からはるか 離れた はるかのマンションの駐車場に車を放り込んで 暇さえあれば乗り回している。
 M とは 長い付き合いだった 。京葉道路の真ん中で何度 ぶっ倒れたかわからない単車に、命を落とさなかったのは一緒に乗っていたとしか思えない。 とうとう 70歳になった。 修理屋がわざわざ 用意して持ってきてくれた、おじさん バイクに乗って買い物に行かされている。 老人クラブ、コーラスのピアノを弾きながらふと 今一度乗ってみたいと思うのは40年にわたって 乗り潰してきた どの単車でもない。ハーレーダビッドソン でもない。丸坊主だった M のさっそうと運転する ホンダ、ドリーム250cc の後部座席で ある。

(了)