白桜会のブログ

‟明るく楽しく元気よく”

単車人生  連載2 

単車人生 (2) 著: 遠藤俊夫(白桜会/囲碁将棋部、卓球部)

(二)

 夏休みが終わった。学校へ行くと校長に呼ばれた。校長室へ入ると山椒魚が黒縁メガネをかけたような五分刈り 頭が目をぎょろつかせている。
「 何ですか」
 校長はしばらく睨んだ。
「 おめえ 新卒のくせに、ふてえ野郎だな」
「そうですか」
「 馬鹿野郎。 駆け落ちした2人をかくまって蒲団まで貸したそうだな。 そういう事件は真っ先に、校長に報告するのが当たり前だと知らねえのか」
「知ってたら、やってます」
「 おめえのような餓鬼は信用できねえ」
「 結構です。信用できない大人に信用されるより、信用できる子供に信用された方が安心です」
 あわや、というところへ教務主任が駆けつけた。
(さざ波や志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな) という歌がある。 職員室から飛び出してきた女教務主任の顔を例えれば、(さざ波や頬も額も荒れにしを 昔ながらの低き鼻かな)である。
「いい年をした校長先生が、ろくに社会を知らない新卒相手に本気で喧嘩しては器量が下がります」 という。
 器量は苦労して身につく という。酒が何より好き、黒縁メガネにダンビロの口、なだめられても小鼻をビクビクさせ、ぎょろ目のまま首を傾げている様子は、まるで近藤勇が英語で質問された時のようである。 校長は二度と口をきかないぞ。 出て行けと怒鳴った。 今までだって ろくに口をきいたことがない。 2、3日すると2人が家を訪ねてきた。 細ぶちメガネの女史が頭を下げた。

「 すみません。 実は独身の体育主任だった この人と仲良くなり、終戦のどさくさから今まで面倒を見てくれていた、テキ屋の親分と別れて再婚しようと思ったの。でも、まともにはできないから、夜逃げみたいなことをして、あなたを頼ったの。そのことは、この人が 学校へ出頭して全部話したそうで、本当にご迷惑をかけて申し訳ありませんでした」 涙を浮かべた。
「ははあ。過ぎたことはどうでもいいじゃないですか。それで、これからはどうなさるんです」
「はい。私が学校を辞めて、この人が他区へ転任することになりました。いちじは2人ともクビになったら、私がキャバレーに勤めて稼ごうと思ったの。無事に暮らしを続けていかれるのは皆、先生のおかげです。ご恩は一生忘れません」
「 なるほど。うまく行きましたね。 お二人ともいらっしゃらなくなると、当分 お会いできませんね。どうかお元気でお幸せにお暮しください」

 2人が帰って行った後、両親の居間へ行った。 そこへ大学時代、同級だった女の子がちょうど訪ねてきた。3人に事件の結末を話した。おやじは話を聞くと、原書から目を離して、じろりと老眼鏡を向けた。パイプにピースを突っ込んで煙を吐き上げたまま 一言も言わない。 俺のまいた種といいながらよくぞ生まれてきた。バカは死ななきゃ治らないと顔に書いてある。 お袋は音楽学校出の朝から晩まで 賛美歌ばかり歌っている歌い屋である。
「困ったねえ。上司にそんな口答えをするようでは先が思いやられるよ。 いっそ今のうちに 豆腐屋の見習いでもさせた方がいいかね。 あれなら朝は早いし、健康にいいよ。 あの豆腐屋のおじさんは怖そうだから、お前だって反抗できないよ。頼んでみようかね」
  毎朝 ラッパを吹き鳴らして、家の前を通りかかる 豆腐屋がいる。 お袋は必ず呼び止めて買う。 豆絞りの手ぬぐいを逆さ鉢巻きにして、印袢纏を着た 渋い中年男である。10人も子供を産ませておいて、1日口をきかないおやじに嫌気をさして、愛想のいい下町育ちの豆腐屋に惚れているらしい。だいたい、大人になるということは、怒鳴るか、口をきかないか、愚痴をこぼすかに決まっている。
それまで黙って話を聞いていた同級生が、
「こういう亥年の人は、ほっておくと 何をしでかすか分かりません。 結局は子供と同じですから 進退極まらないうちに 私が管理しましょう」
 言い出した。職場で管理、家庭で管理では囚人である。 後で気がついたが、結局男は女に管理されるように生まれついているらしい。 だが 分かった時には遅かった。 気が変わらないうちにと、 ひと月も経たないうちに結婚式をあげた。校長が来賓に来た。 筆頭の挨拶にメガネを光らせて立ち上がった。
「本人はもはや 社会人である。何をしようが本人の責任であるが 、他人に迷惑だけはかけてもらいたくない」
 ニコニコもしないで座った。よほど 一件が、こたえたらしい。

(三)

 世帯を持ったからには 勤め先に便利な方がいいというので、新小岩にアパートを借りた。 1日、陽の射さない北向きの四畳半。窓から降りれば 大家の庭である。2人とも 教員商売だから 狭いながらもマッチ箱みたいに仕切られた 一室は、1日中がらあきである。8つの部屋に4つのボットン・トイレ。食い盛りだから、朝はどうしても出していかないと具合が悪い。 ギリギリになって、いざ出勤と共同便所へ飛び込むと、無情にも 4つのドアは閉ざされている。 勤め先まで腹を抱えながら、数えきれないほどウン気を我慢し続けた。 度重なると便秘になる。朝7時半、ようやく たどり着いた学校の、静まり返った 4階のトイレで、格闘 1時間、ようやく本懐を遂げたことがある。(懐かしいや 久方ぶりのきんかくし、ここぞとばかり 力 出し切る) しみじみと感慨が湧いた。
 アパート近くにプレス加工を商売にしている プレス屋が、いくつかあった。その一つの家族と仲が良くなった。 頼まれて中学生を教えることになった。小学校の教員でありながら小学校の勉強さえろくにわからない。ひまさえあれば 小説ばかり読んでいる。ほとんど商売である。中学生の数学に至っては 参考書を読んだってわからない。 戦時中、警戒警報のサイレンで学校を返され、することがないから薄暗い防空壕で、本ばかり読んでいた。小さい頃の習慣は恐ろしいものだ。中学へ入ってから、やっと 教科書を机に置いて先生の話を聞くという生活を始めた。 それまでは お袋と帯や単衣を持ち出して、芋やカボチャと換えてくる買い出しが商売だった。 中学で隣と2人して勉強机というものに座ってみた。先生が入れ替わり立ち代わり 入ってきて、大抵 1時間中何か喋っていった。叱られてばかりいたから、怒った時の先生の顔は未だにかすかに思い出すが、話しときたら声まで忘れた。なにしろ、したことがないからどういうことを勉強というのかわからない。 未だにわからない。ただ何やら、原因と結果とを教え込まれる。どうしてそうなるかが、 さっぱり出てこない。 つまらない。 そこへ行くと 麻雀、碁、将棋は面白い。ルールを覚え、自分の考えに従って 勝ち負けが決まってくる。 おまけに相手の性格や癖がよくわかる。 40数人の 団子になっている教室で、分かっているのか分かっていないのかさっぱりわからないことを、虚しく喋っているより、はるかに役に立つ。教わりに来る子にそう言ったら、たちまち その気になった。 そればかりか 麻雀をするには4人いなければ つまらないと言うと、その日に 隣の子を引っ張ってきた。豆腐屋のせがれだそうである。真っ白く 四角い顔をしている。 勝負事が嫌いで仏頂面をしている管理人(女房)をまず 座らせ、 四畳半 ギリギリに雀卓を囲んで、毎晩 そればかり打っていた。 それで 家庭教師代をもらっていたのだから、真面目な国だったら多分死刑になっていただろう。管理人が一番弱い。 嫌いだから弱いので、嫌いだから強かったという話は古今東西ためしがない。生徒の2人は 目の色を変えて熱中しているから 腕は上がる一方である。局面はのるかそるかの土壇場になってくる。学校では優等生だったと言うし、大学でもよくノートをとっていた管理人はどういう頭の仕組みになっているのか、2人がリーチをかけているというのに、危ない牌をポカポカ放る。当たりと言われるとそれなら待ってよと 一度捨てた牌をつかんで戻してしまう。 これなら大丈夫だわねと、念を押して別の牌を捨てる。 それでも負ける。 いくら 嫌いでも負けるのはつまらない。便所へ行くふりをして、近くの友人の家へ遊びに行ってしまう。3人で打つ 麻雀ほどつまらないものはない。
 とうとう 諦めて釣りに行こうという話になった。6キロほど離れたところに 池のある公園がある。そこでへら鮒釣りを教えてくれたのは 麻雀の家庭教師に目の色を変えてくれた、家族ぐるみ仲良しだった プレス屋の三男 M である。学校の規則で坊主刈りだった彼は、写真に見かける 宮沢賢治にそっくりだった。垂れ目が細く、 厚い唇に微笑みの漂うような優しさが立ち込めていた。彼は怒ったことがなかった。ふとぼんやり、 空や遠くを眺める時の顔は、お地蔵様にそっくりだった 。
 釣りを始めた頃は、日曜の朝、 M に起こされて真っ暗闇を、自転車をこいで釣り場へ行った。 釣具屋が2軒あって、明かりがついている。 行きつけのお店で、ふかしたサツマイモをミンチ へかけた練り餅を買う。 真っ暗闇だが 釣り場には、桟橋が沖へ突き出しているから、 四つん這いならわかる。先端の左右両端が藻穴である。セルロイド製か、 孔雀の羽根の芯を3段に継いだ、へら鮒用の浮子を仕掛けのゴム管に差し込んで、パチンコ玉くらいに丸めたサツマイモの団子を鈎に刺し、藻穴へ 落とし込む。 夜が明けてくる。それまで見えなかった浮子がようやくほの白い姿を現す。それが2,3回 動いたと思うといきなり消える。竿を上げると魚が糸鳴りさせながら引っ張られてくる。尺ちかい銀白色のへら鮒だったり、真っ赤な口の周りにご愛嬌に4本の髭を生やした、黒ずんだ 鯉だったりする。やがて 2人とも熱くなってきた。
 日曜だけでは到底、行った気がしない。毎夜8時。八百屋から買ってきた最高級のサツマイモを2人で蒸す。 目まいのしそうな香りを漂わせる、蒸したサツマイモの皮をむき、金網で裏ごしする。そのまま、新聞紙に広げておく。丸めると朝までに饐えてしまうからである。電気冷蔵庫 なんてあるわけがない。買う金があっても世の中にない。午前2時。小さな雨戸を叩く音がする。 M である。 当時 珍しかった 変速付きの自転車に乗って 2人分の釣具を荷台へゆわえ、箱びくと 竿袋とを肩に、柴又街道を抜け水戸街道をまっしぐら、常磐線のガードをくぐり、戸ヶ崎街道を疾駆して 水元公園へ飛ぶ。20分ほど遅れて、 トレパンに運動靴姿が現場へ着く。 5段変速、速度メーター付きの最新型と、自転車屋の店先にさらされていた錆付き埃つき、最重量を誇る中古品を値切った自転車とでは太刀打ちできない。たどり着いた時 M はすでに2人分の釣り支度をして、昨夜のサツマイモを量ったかと思うほど、等分に分けて小麦粉を足して待っている。桟橋の横手の畑の端に、区の管理する小屋がある。桟橋にボートがつないであるため、夜間の見張りが必要だからである。管理人は相当な歳だが、大の犬好き らしく人間ほどのグレート・デーンを二匹小屋につないでいる。2人がそっと照らす懐中電灯や、かすかな物音に気づいて、たちまち猛獣のように吠え立てる。管理人が小屋の戸を開けて出てくる。特大の箱型電池をかざし犬の綱を引っ張りながら、
「どこの誰だ。 こんな夜中に何をしに来た。 ここは釣りをする時間は、夜明けから日没までと決まってるんだ。立て札まで立ててあるのに 畜生」
 急いで芋畑の中に隠れながら、電灯にチラチラする2匹の黒い姿を見ると、どっちが畜生かと思う。 藪蚊を我慢して芋畑のあぜ道に伏せている 2人の姿は見えないらしい。あたりは 電燈1つない、分厚い闇である。 管理人は諦めて小屋へ入る。2人がたちまち芋畑を飛び出す。またも桟橋へ四つ足で忍び歩く。餌を打ち続ける。夜が白む。突然藻穴から大きな泡が2つ 3つ 浮いてくる。一瞬に浮子が消える。竿を立てる。折れるかと思う力が引きずりこむ。 釣糸は一瞬に切れる。大抵は1m 近い 鯉の仕業である。 夢中で仕掛けを取り替えようとする。が、その時には 朝7時である。太陽は既に芋畑を赤茶色に照らし始めている。 たちまち 竿を蔵い自転車に飛び乗る。勤め先の学校まで約8km 。水戸街道平井大橋へまっしぐら。 ようやく始業時の8時半に間に合う。家には寄れない。朝飯がない。10時を過ぎると空腹と疲れとで眠くなる。給食場へ行き、時刻が早いので、 まだ 味噌を入れていないけんちん汁をねだる。
「先生は1日、何食食べるの」
「体中 胃袋みたい」
 なんだかんだと言われながら、特大の丼ぶりに入れてくれる 塩入りのけんちん汁にしゃぶりつく。 塩味の効いたサツマイモ、 ゴボウ、ニンジン、 ブタ肉の適当に 煮上がった汁はうまかった。 あんなに食べ物をうまいと思ったのは一度きりである。

                                                                                                              つづく