白桜会のブログ

‟明るく楽しく元気よく”

単車人生 連載4

(六) 著: 遠藤俊夫(白桜会/囲碁将棋部、卓球部)

 夏休みが終わった。職場の分会長が急に、教員組合の執行委員になってくれと言ってきた。今まで地区で出ていた人が、病欠になった。代わりがいないから頼むという。赤ん坊が生まれそうだというのに、無茶な話だと思ったが、別にこっちが産むわけではない。帰って話したら、ふだん、飲み仲間を連れて午前様で帰って来られるより、多勢のためになる仕事をした方がましだ。別に 毎日の帰宅なんか、今更、当てにしてないと言われた。仕方なく組合の執行委員になった。

 支部というところへ行ってみた。セイタカアワダチソウに囲まれたプレハブ小屋に、目つきの鋭い男がいた。君は誰だという。今度、病欠になった地区の委員の代わりを頼まれたので来ました。と、名を言うと急に人懐っこい顔になった。俺は執行委員長だ。君はバイクか車に乗れるかと聞く。50cc なら乗れますが、実家に置いてありますと答えると場所を聞かれた。それじゃあ、無理だなあ。執行委員は足がないと動けないから、誰かの車に乗ってもらって活動してくれよという。Mとドリームで走った 新橋駅前の演舞場や、両国ホテルを飾った、大きなネオンサインを思い出した。道は分かっている。ドリームに走れて、カブに走れないことはないだろう。

 翌日。カブにまたがり、家を出た。洗足池まで30分かかった。朝6時に出て学校へ着いたのが8時だった。その日は疲れて授業中、居眠りをした。午後、組合へ行った。委員長が中古を買ったのかと尋ねた。家から乗ってきたと言ったら、じっと顔を見つめた。怪我をしないでくれ。世田谷から江戸川じゃ、東京横断だ。50cc のカブでそういうことを考えるやつは見たことがない。頼むから用心して乗ってくれ。何なら支部のカブを貸すから、この近くだけ乗ってくれてもいいんだぜ、という。一度始めようと思ったことを、他人の忠告くらいでやめるのは男の恥だ。Mが俺を乗せて走った道を、俺が通れないわけがない。自転車のビニールカッパを買って、晴雨に関わらず通った。 雨の日は辛い。その頃、シールドのついたヘルメットはなかったから、雨の滴が目に入ると前が見えない。ビニールカッパは、濡れないものかと思ったら大違いで、全身から出る汗が外へ出られず、内側が水をかぶったようになる。雨上がりの夕方、その頃まだ走っていた亀戸の路面電車のレールにタイヤが乗ったと思ったら、あっという間に転がった。後続車がいなかったから、ズボンの膝に穴を開けただけで済んだ。今なら腹に穴が開いていたに違いない。

 いくらも経たないある日。工事現場の泥道を泳ぎながら走っていると、いきなりダンプが後ろから追い越して、工場現場の空き地へ左折した。カブは軽いから、すぐひっくり返る。ひっくり返ったので助かった。倒れたハンドルの目の前スレスレを、大きな後輪が、汁粉みたいな泥を跳ね飛ばしながら、ゆっくり通って行った時にはたまげた。 泥団子のようになって家へ着いた。Mに電話した。だからダメだと言ったじゃないか。車の免許を取った方がいいよ。先生くらいのおじさんになって、単車に乗る人なんか、会社の社長さんくらいだぜ、という。会社の社長は、そんなに貧しいのか と尋ねると、先生は世の中のことは何も知らないんだな。社長は晴れた休みの日に、何人かでチームを作ってハーレーに乗って、ツーリングに行くんだ。趣味で乗るんだよと言う。ハーレって、彗星の名前かと聞くと、ハーレーダヴィットソンというアメリカの単車で、日本の4輪車より高いのだそうだ。それはいいことを聞いた。早速、都から金を借りて、それを買って乗るぞと言うと、先生みたいにTシャツにトレパンに運動靴でハーレーに乗ったら、交番の前を通れないという。どうしてだと聞くと、まずその車をどこから持ってきた。証明書を見せろと必ず言われる。調べられる。1時間は放してもらえないという。第一、先生は自動二輪の免許を取ったのかと、笑われた。なるほど。50ccの免許で、最低排気量 750ccだというハーレーに乗れるわけがない。渋谷へ行って話すと、委員長は大笑いだ。執行委員がハーレーに乗るようじゃ、世の中はおしまいだ。君がハーレーに乗るんじゃ、俺はベンツに乗らなきゃならない。それくらいなら、車の免許を取れ。組合で金を貸してやる。給料から天引きで返すから大したことはない。免許を取れたら、組合の車を使わせるという。車に乗れるなんて、一生の夢だと思ったが、免許を取るためには 教習所で練習したり、試験を受けなきゃならないと聞いて、うんざりした。世の中に試験くらい、くだらないものはない。多勢の人間を一つの能力で優劣を決めるほど愚かなことはない。しかし、新小岩にあったS教習所は、面倒見がいいから、すぐ取れる。免許は若いうちに取らないと損だと言われて、とにかく行った。
 費用は一括で前払いだった。組合の金を借りたから、今すぐ腹が痛むわけではない。一生懸命練習して、予定時間数より少なく卒業すれば、残りを返してくれるという。よし、単車なら東京横断の腕がある。なんの車くらい、3日で取ってやるぞと思ったが、どうも意欲がわかない。第一、組合の仕事をするために、車の免許を取るというのが気に喰わない。組合の仕事が終われば、たちまち車をぶん投げて、単車に取りつくことが目に見えている。同居人に言わせると、車は、税金、保険が高い上に、車の置き場がなければならないという。第一車を買う金がない。しかし教習料は組合が申し込んで、すでに払い込んであるという。行かないわけにはいかない。教習場のスタート地点で、初めてハンドルを握った。何だか急に金持ちになった気がする。2、3回通った。ある日、場内を回っているうち、交差点の信号が赤に変わった。2台の車が間を開けて停まっている。間に隙間がある。これはしめたと車を突っ込んで停めた。単車なら当然の権利である。ところが、同乗の教習員がドアを開けて降りなさいという。車が接近して開けられない。出られませんと答えた。教習員は、こういうところへ、車を突っ込むような人は免許を取らない方がいい。必ず事故を起こすと言った。言う通りだ。天災事変にあった時、ドアが開かなかったらおしまいだ。やはり、車に乗るのは、分不相応だと諦めた。夏目漱石じゃあるまいし則天去私なんて、えらい考えはこれっぽっちも持たないが、この時はやっぱり、天が車になんか乗るな、単車にしとけと言っているように聞こえた。それっきり、行かなかった。
 教習所ではずいぶん心配してくれて、今なら空いているから1ヶ月で取れる。取りかけたんだからどうですか。早く卒業した方がいいですよ と、しきりに組合に電話してくる。しかし、なんだかんだ組合の仕事をしているうちに二学期になった。学校が始まると、悪友たちと3日にあげず飲む。免許は遠い彼方へかすんだ。6ヶ月が過ぎた。残りの金が返されてきた。免許を取れなかったお祝いに、支部の連中と飲んだ。君のような人間には、やはり単車が似合っている。車は人をはねる心配がある。とくに、君のようなせっかちな人間ほど危ない。君がはねたら困る人がいっぱいいると思うが、君が単車ごと跳ねられたところで、心配する人は誰もいないに違いない。安心した方がいい。取れなくてかえってよかったという。その通りだ。車に単車ごと跳ねられて、路面に放り出され、 ぴくりとも動かない血だらけの姿を見たことがある。見も知らない人間をあんなふうにするくらいなら、自分が血だらけになる方が、まだ、ましである

(七)

  その年、教職員の勤務評定を実施すると脅かされたり、40年安保の前年だったりして、毎日朝から区内の学校へストライキ参加のためのオルグ(激励)に行かされた。午前中は低学年の授業を持つ。午後から支部へ出かける。区内のどこそこへ書類を届けてこい。どこそこの中学校は、参加絶対反対と言ってきてるから説得してこいと、ずいぶん使われた。よほど暇に見えるらしい。次第に夜遅くまで仕事が続くようになった。家へ帰るのが面倒になってきた。支部の埃だらけの板張りの床へ、毛布を敷いて寝た。
 翌日、実家から学校へ電話があった。昨夜女の子が生まれたという。委員長に話して、やっとカブで帰ってくると誰もいない。遊びから帰ってきたまだ中学校だった弟に聞くと、赤ん坊を見に産婆のところへ行っているという。お袋の10人の子を一人残らず取り上げてくれた産婆の家へ行った。みんなが一室に集まって、敷かれた布団を覗き込んでいる。親父がいる。自分の子が生まれた時は恥ずかしがって、一度も来なかった親父が、メガネをかけて、泣くだけが商売の赤い着物を着せられた、孫の顔をのぞいている。親父は私の顔を見るといい時に来た。名前はまだないと、吾輩は猫であるみたいなことを言う。生年月日は今日にしておく。お前のいないところで生まれたんじゃ、可哀想だからなという。
 名前をどうするんだと、せっかちに聞く。自分の子の名前は、戦時中生まれたのには、健二、忠雄、勇三など適当につけてある。もう一人生まれたら、無双とつけるつもりだったそうだ。民主主義の世になって、兄弟の名を合わせたら、忠勇無双というのでは、子供はたまらないだろうが、親父は平然たるものだ。男たるもの、たとえ戦さがなくとも、平生、忠勇無双でなければいかんという持論である。しかし今度は女の子だ。薙子などとつけられてはたまらない。せっかく、今日、生まれたことになったんだから、今日子でいいでしょうと言うと、そうだ。それは正直でいい。正直になれそうな顔をしていると上機嫌である。管理人(女房)が蒲団の中から、今日子と三文字書くのは大変だから、京子の方がいい。東京で生まれたんだから、京子でいいわよという。自分で産んだ子だ。いくら種子をまいたって、畑がなければ育たない。畑の言うことを聞いてりゃ、種子に間違いはないだろう。当時 S大に通っていた4番目の弟が、名前は1字でも少ない方がテストの時、得だぜと言った。名前が一字減ったくらいで、得点に影響する頭の持ち主かと思ったが、どんな名前でも、出生届の手数料は同じだというから、短い方にした。
 Mに電話した。顔を見に行きたいという。次の日曜。ドリームで姿を現した。見るなり小さいなと言う。これからだんだん大きくなるだろう。あと1、2年して手がかからなくなったら、そっちを探して引っ越す。一緒に釣りに行こうなといった。Mは、目を潤ませた。先生がいないと、釣りに行ってもつまらない。早く引っ越してくれと、おやじ、おふくろのいる前で言った。
「これ誕生日のプレゼント」
Mは、ひもを縛って、肩へかついできた竿を恥ずかしそうに寄越した。自分さえ思い出さない誕生日に、プレゼントを持ってくるやつがいる。帰ったあと二人は、あんなやさしい子は珍しい。言うことすること親切だ。いい友達を持って幸せだといった。管理人が次いでに、あなたの代わりに、この子の父親になればよかったのにねと言った。Mは、来年三月卒業で、高校を出たら、家業のプレス屋を手伝うそうである。もしそうなったらふだんの日、こっちが休暇を取って、二人でどこへでも行かれる。それまでに、かならず、自動二輪の免許を取るぞと誓った。ドリーム号は素晴らしいが、いつまでも、荷物を担いで、リアシートに乗せられているのは、かなしい。

(つづき)