白桜会のブログ

‟明るく楽しく元気よく”

元事務局長の原稿

桜会のUSBデーターに元事務局Tさんの未使用の原稿が遺されていました。

題は

物造りと資源獲得へ                      六番街 T 

昭和16年12月戦争開始とともに町のお店から全ての商品が消えてしまった。
一番先に甘いものが消えた様に記憶しています。小学校4年の秋、父は招集で満州へそれきり父の顔を見ることは無かった。父は35歳の秋であった。父の居ない私は母の背を見て育った。昭和20年敗戦の日、県立工業学校機械科1年生の私はこの日から、物造りを始めました。米空軍の落とした不発の六角筒状の樹脂焼夷弾をたがねで切り開きハンマーで打ち出しフライパン作りをしました。しかしこの鉄板は粗製乱造の材質であったと思いますが、これが売れる商品を作った初体験でした。板金技術の初歩訓練となりました。そしてグラマン戦闘機のエンジンやプロペラを分解しジュラルミンの鋳造。 其の金属性能のすばらしさ。プロペラは二つ折りにしても折れない粘性、エンジンのジュラルミン鋳物の叩いても割れない緻密な、強度の高さに驚き、この金属との出会いが生涯を通じて私を資源調査へ夢中にさせた原動力となったように思います。 

▼6年間の中学、高校で機械科に学び、金属材料、設計製図、鋳造、加工の実習・学習に夢中になった。そして大学では工学部鉱山学科を選び、卒業しては地下資源開発に、習得した鉱物学、鉱床学、鉱床地質学と学んだ全ての学問をフルに役立てることが出来ました。 

▼今75 才でも尚、資源調査には未練があります。夢中で駈け抜けた、1945年からの62年間これも健康であった事、何ヶ月もアマゾンの湿地帯を歩き回り、西豪州の準砂漠で渇きにも耐え、比国のフォーレストで雨に打たれ暗い樹林の中を、蛭にかまれながらもキャンプして調査をすることが出来ました。それもこれも健康な体とガッツを呉れた両親に感謝するばかりです。 

▼この長い海外生活でも、これまで一度の熱病にも、感染症にも冒されず健康で定年を迎え、69歳でまた、JICAのシニア海外ボランティアに参加しアルゼンティンの連邦鉱山局に2年間、帰国するともう71歳を超えていました。白井に落ち着き白桜会の皆さんとの出会い、人生を楽しめるのも唯々、幸運であったと感謝する毎日です
しかし、地下資源調査・開発の夢は未だ、冷めやらず英語圏スペイン語圏・中国語圏、何れの国でもチャンスがあれば出かけて日本に不足する地下資源の調査に余命を捧げたいと願う昨今です。林さんの後任で事務局を引き受けて、もう2年が終わります。今年も又、総会資料を作りました。

★★★

Tさんは数年前亡くなられましたが、ウォーキングにご夫婦で参加されていました。石尊阿夫利神社までみんなで歩いたことが思い出されます。2008年ころの「白桜会便り」を見ているときめ細かい構成になっておりご苦労の跡が垣間見えます。

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2008年2月号より、遠藤先生の作

ベジタリアンの詩五」 「じゃがいもの歌」 

♪「流れ流れてこの国へ やっと届いたジャガタラが、いまは赤玉、男爵と、どんどんふえてく親戚縁者。

♪ポクポク大きい男爵ならば、ふかして皮むき、穴をあけ、バター詰めればなつかしい、ジャガタラ、バターのできあがり。

 ♪ポテト,チップに、フライドに、加工のしかたはあるけれど、やっぱり自分で、手をかけて、ほっくり煮上げたその香り。

♪肉と煮たら、匂い消し。千切り素揚げの歯ごたえさ。 ♪皮ごと煮るのも、おいしいものよ。なかのうまみが出ないから。ほんのり温いひとつぶに、昔のことを言いながら、過ごして頂戴。ひとときを」

おしまい

 

鴨のいる十余一公園(2022/12/9)